「半沢直樹1」はなぜ成功したのか
◇ クオリティの高いエンタメとはなにか
半沢直樹といえば、堺雅人主演で超高視聴率を記録したことで有名だ。そして今、7年ぶりに続編が放映されて盛り上がっている。そこで、内容を思い出すためにもファーストシーズンをイッキ見した。非常に面白かった。
◇ クオリティの高さ=内容の濃さ
とにかく、怒涛の展開。全10話中、最初の5話は大阪編、最後の5話は東京編となる。プロットは似ている。半沢直樹vs.不正を働く上司。それを黙認する周りの人間が、半沢の熱意に感化されて、勇気ある行動をする。そのような様子に視聴者は惹かれる。
いわゆる「半沢直樹」のイメージは、大阪編で終わっているのだ。東京編は、半沢直樹本人が、自分のやっていることと不正を働く上司のやっていることが実は似ていることに気づくという、複雑な展開が待っている。
そうした「自己矛盾」にまで10話で持っていくというのは、持っていかせるまでの内容の濃さもすごいし、それをドラマとして表現する監督・脚本家の技術もすごい。ただ、最終回で半沢に出向を命じたのは、作品として必要なことではなく、商業的な引き伸ばしだと思った。
◇ 脚本のうまさ
上述の通り、多くの内容を全10話にまとめた制作陣もすごい。ドラマだから、途中の回から観始める人も多い。それを助けるために、随所にナレーションや回想シーンで昔の情報を復習できるようにしている。一方で、復習を多くするとその分、新しい内容に割く時間が少なくなる。いかに復習を混ぜながらも、ドラスチックな展開ができるか。そこで脚本家が使った方法が、「有能な脇役」と「伏線」であろう。
まず「有能な脇役」について。渡真利(及川光博)をプレイヤーではなく、案内人として使うことで、半沢直樹がやるべき仕事の量をだいぶ減らしている。そうすることで、新しい内容に割く時間が少なくても、毎週なんとか行くようにできている。
次に「伏線」。ドラマでは、例えば金融庁が来たり、内部資料を探しているのがバレそうになるなど、ハラハラするシーンがたくさんある。それでも、なぜかうまく切り抜ける。これには、もちろんドラマ的なこじつけとしか言えないところもあるが、「実は少し前のシーン」で言っていたなということも多い。その点で、伏線を使ってダイナミクスを表現しているといえるだろう。
ただフレームだけでなく、役者の一つ一つのセリフも言い得て妙なものばかりだ。半沢直樹や大和田常務、浅野支店長、小木曽次長。。。癖のあるキャラクターと、それを見事に演じる俳優たち。素晴らしい仕事である。
◇ 音楽の良さ
さすが服部隆之。とにかくメインテーマがバッチリきまっている。重厚なサウンドはまるで、メガバンクに巣食う巨悪の闇の深さを思わせる。そして、メインテーマが決まっているからこそ、それの応用で、寂しい音楽にしたり、ハッとさせる音楽にしたりと、アレンジがうまく行く。さすが服部隆之。
音楽が使われるシチュエーションも、視聴者の方なら分類できるだろう。この音楽が流れるということは、次はこうなるというのがわかる。先が予測できるのも、このドラマの良さだ。見事に、視聴者の心を操縦している。
◇ 半沢直樹レベルのエンタメを作りたい
まとめると、半沢直樹は脚本や音楽、演者など、たくさんの要素が見事にハマって、素晴らしい作品となっている。このくらいのエンタメを作りたいものだ。
それには、確固たるイメージが欠かせない。TBSだか監督だか池井戸潤だか知らないが、誰かが完璧にヒットまでのイメージを持っていたのだろう。各要素を自分の中で秩序づけて考えられるその頭脳に惚れる。
たしかにマーケティングとかリサーチは必要である。しかし、それよりも大きいのは作り手のエネルギー量だ。