ウィズコロナ時代のライブ産業を考える

ウィズコロナ時代に、ライブはどう変化していくか

 

 音楽業界の収益の中心は、CDからライブへと変化している。

ネット発達の結果、CDの価値が低下した。音楽を聴きたいと思った時、かつてはラジオでリクエストするかCDで聴くしかなかった。出先でも音楽を聴ける点でウォークマンは画期的だった。それが今や、YouTubeやサブスクで検索すれば簡単に聴くことができる時代になっている。かつてCDには二つの価値―①音楽を聴くためのデータ②モノを所有している満足感を与えるもの―があった。もはや①の価値はスマホに代替され、辛うじて②の価値が残っているという状況だ。その結果、CDの価値は大きく低下し、消費者もCDを買わなくなった。

 ネット発達の結果、ライブに白羽の矢がたった。ネットが発達し、アーティストの動いている様子や歌声を簡単に視聴できるようになると、徐々に消費者はそれだけでは満足しないようになっていく。なぜなら、ネットにあがっている動画は、いつでもどこでも聴けて、生放送番組のような「その時だけ」という興奮がない。また、あげられている動画には既にアーティストやレーベルのチェックが入っていて、生放送のようなハプニングもないため、視聴者は無機質な印象を抱く傾向にある。そこで、ライブに白羽の矢が立った。この「ライブ」には、アーティストの所謂「ライブ」のほか、テレビ番組の「ライブ」も含まれる。ライブには、その時だけ観られるという興奮があり、その興奮はライブ会場の熱気やTwitterでの実況などによって、ファンとファンの間を伝播し増幅する。しばしばハプニングのような想定外の出来事が起きることもライブの魅力である。

 CDが売れず、ライブで稼ぐ時代になった結果、そもそも作品の方向性も変わっていくのではないか。バラードのようなスローテンポな曲はライブとの親和性が低い。コールアンドレスポンスやタオルを振るような、観客も作品の一部となるような楽曲が増えるのではないか。

 

 この変化の矢先にコロナが流行し、ライブができない状況になってしまった。アーティストは収益を得ることが出来ず、苦境に立たされている。そこで様々な工夫がなされている。

 そもそも消費者がライブに見出した魅力というのは、ネット全盛の時代だからこその「一期一会」感と、みんなでワイワイやる楽しさであった。ただ、それが全てのアーティストに言えるかというと、そういうわけでもなさそうだ。分水嶺は「ライブをDVDで観た時に、会場と同じくらいの興奮を味わえるかどうか」だ。言い換えれば「観客の反応が作品の一部となるものは、結構きつい」

 マイケルジャクソンのような、演出に力を入れたライブはDVDで観ても十分に楽しめる。サカナクションPerfumeも、先端テクノロジーを使った演出が特徴的だし大丈夫そうだ。あるいは、ずっと真夜中でいいのに。やYOASOBIなど、私小説・哲学的な楽曲の場合、MVの延長のようなライブができるはずだ。

 一方で、アイドルやロックバンドは厳しそうだ。乃木坂や日向坂はコールアンドレスポンスがライブの醍醐味だから、無観客はキツイだろう。ロックバンドも同様だ。

 だからといって、アイドルやロックバンド全てというわけではない。アイドルの中でも欅坂のように楽曲重視のものや、KingGnuのように音楽性ゆえに評価されているグループなど。逆に、尾崎豊は哲学的な歌詞だが、コールアンドレスポンスが重要だからきつそうだ。

 なにも音楽だけで考える必要はない。宝塚や劇団四季、歌舞伎など演劇・ミュージカルは、無観客でもそのまま十分にやっていける性質のものだ。一方で野球やサッカ-などのスポーツは、現地の観客が興奮している様子から、テレビの視聴者も興奮を感じ取るものなので、結構難しい。

 

 以上の議論は「既存の形態のライブを焼き直しても通用するか」という観点からの話であった。だから、そもそもライブの形態を変えてしまえばうまくいくかもしれない。