人が文章を書く理由

 世の中には文章が溢れている。人はどうして文章を書くのだろうか?

 いま、僕はブログに文章を書いている。これは、自分の考えをまとめ、公表し、人から反応を得るためだ。反応というのは、自分もそう思うという賛同だったり、あるいは反対意見だったり、究極的にはPV数アップによる広告収入を期待している。現状、広告収入はもちろん、もはやコメントもアクセスもない。悲しい限りである。

 読売新聞のサイトには、ニュースが載っている。新聞記者の人は、出来事を取材して文章を書く。ここには、世間の出来事を周知させるという社会的な意義と、仕事をすることでお金を稼ぐという個人的な意義がある。

 僕の手元にある時計の説明書には、やってはいけないことやケアの方法などが書かれた文章が載っている。これは、製造者から消費者に対する情報の伝達を目的とした文章である。

 このように、文章を書くという行為は、何かしらの目的をもってされる行為である。

 

 作家と呼ばれる人々は、自分の考えを物語文なり説明文なり随筆文なりといった形で表現し、その対価として読者からお金を貰っている。彼らはなぜ文章を書くのだろうか?もちろん、当人の生活という個人的な意義はある。しかし、主たる原動力、ひいては彼らが作家を目指したきっかけは、何か表現したいものがあったのだろう。

 表現することは、自分の考え方と、世界の考え方が違っているからこそ為される行為ではないか。

 僕が心酔している平手友梨奈は、子供に対する大人の見方が、子供から言わせればおかしいということを、ダンスや歌を通して表現している。

 

 結局何が言いたかったんだろう、俺は?