【乃木坂46】運命の介入 『逃げ水』考察
今日は「逃げ水」について語らせていただきたいと思う。乃木坂がシングルを出さない夏も珍しいから、過去のものを聴いて気を紛らわせています。
◇ モチーフとしての逃げ水:見事な対立構造
夏。灼熱の太陽・もくもくの入道雲。金属音と黄色い声援がスタジアムから聞こえてくる。流れる汗が僕のTシャツに模様を描く。こんな時間に散歩なんてするもんじゃなかったと、目の前のコンビニを目指す。
日差しに切り取られた市営球場から聴こえて来る
ひと夏の熱狂は どれくらい風が吹けば醒めてくのか?
自分の声が他人のように響くよ
客観的過ぎるのだろう
いつの日からか 僕は大人になって走らなくなった
ミラージュ 遠くから見た時 道の向こう側に水たまりがあったんだ
近づいたらふいに消えてしまった
目指して来たのに どこへ行った? あの夢
主人公はおそらく、大学生くらいの男の子だ。かつて自分も甲子園を目指していた。あの頃は辛かったけど、楽しかった。結局、甲子園にはいけなかった。2年くらい経って、あの日を思い出している。
過去を振り返ると、楽しかったあの時のことが思い出される。友達と遊びにいったこと、バカなことをしてたこと、辛かったけど楽しかったこと…。思い出は美化されるし、何より過去を振り返るときというのは、自分が満足していないときだからだ。
いまの自分は「夢」を失っている。自由度の高い世界・なんでもできる世界に在って、何もできずにいる。自分が何を求めているのかも分からない。
だから、無我夢中で白球を追っている彼らが、羨ましく感じる。
大人になってしまった主人公の悲哀。陽射しはこんなにも強いのに、彼の心には熱がない。無気力な人間になってしまった。
◇ 人生とは、しかし、楽しむものであるということ。
「逃げ水」の2番の歌詞には、秋元康の思想が書かれているように思う。
やりたいことは いつもいっぱいあったのに
できない理由 探していた
君と出会って 青春時代のように 夢中になれたよ
主人公は「君」と出会うことで、人生の輝きを取り戻すのだ。秋元康は、不幸な主人公を救うために、物語の展開を用意していた。その上で、こうまでいう。
大事なものはいつだってあやふやな存在
手を伸ばしても 何も触れられない
でもそこにあるってこと信じるまっすぐさが生きてく力だよ
◇ 運命の介入
僕は正直「逃げ水」を気持ちよく受け止めることはできない。なぜなら都合がよすぎるからだ。思い詰まっている人間の前に、都合よく現れるわけがない。
でも、この歌詞は人を勇気づける力を持っている。セレンディピティに期待してもよいと思わせてくれる。