アナログの再興

 最近のMVには、昭和感や平成初期感のあるものが増えている。日本の作品だと、サカナクションの「新宝島」が有名。海外でも同じようなことが起きていて、Bruno Marsの「Treasure」は終始一貫してアナログテレビ感のある作品となっている。

 これまでの「昭和オマージュ」は、「面白さの追求」の一環として昭和の要素を取り入れてきた。「新宝島」は、昭和レトロな振付やらチアリーダーやら粗雑なセットや大胆なカメラワーク、刑事モノみたいなモチーフを、懐かしくて面白いものとして使っている。一方で、最近は、おしゃれな作品にも「新旧折衷」の流れがある。Vaundyの「東京フラッシュ」は、映像がアスペクト比4:3でアナログ画質、映像に出てくるモチーフも公衆電話や横丁など古い。シティポップとして一括りにするのも問題があろうが、SuchmosやSIRUPなどとは一味違う作品となっている。昭和や平成初期の要素を使うことで、野暮ったい古臭い印象ではなく、逆に洗練されたかっこいい印象を与えている。この現象はどうして起こっているのだろうか?

 

◇ なぜアナログ回帰が起こっているのか?

 最近は多くの分野でアナログの価値の再発見が起きている。サブスク全盛期にあってレコードやカセットが売れたり、トレンディドラマが再放送されたり。

 大きな要因としては、過去への憧憬だろう。人間は過去を美化する傾向がある。また、確かに昭和や平成初期というのは日本としても活気のある良い時代だった。未来に対して希望が持てないと、過去の栄光にすがりたくなるというのは多くの人が持っている感覚ではなかろうか。日本の不景気が、過去への憧憬を生み出しているといってもあながち間違ってないだろう。

 心理面だけでなく、実利的な面からもアナログの良さはある。レコードやカセットなどアナログメディアは、物質的なメディアだからこそ、ゆらぎが生じうる。また、アナログビデオは、撮影してから編集することが難しい。デジタルは画一的なものだし、あとから編集もたくさんできる。たしかにこの技術革新があってこそ生まれたコンテンツも多い。しかし、編集や画一性というのは、そこに記録されている人間本来の魅力というものを全くなくしてしまう。少し音程を外すくらいが人間味があってよいではないか。

 

◇ 意外と多い、アナログ再評価の流れ

 そう考えてみると、「ワンカット」作品や、SonyMusicの「The First Take」といった試みは、アナログ媒体との親和性が高いことが推察できる。これらの試みは、なんでも後から編集できるデジタル時代だからこそ、縛りプレイをして、人間味という新たな価値を付加している。

 また、CDの売上が減った代わりにライブ市場が拡大しているのも、アナログ回帰で説明できる。CDやサブスクといったある種無機質な消費体験ではなく、実際にライブ会場にいって、身体性を伴った消費体験をすること、一期一会の体験をすることを消費者が求めている。

 

◇ なぜブームは回帰するのか

 いろんなものが回帰する。髪型だって、ツーブロックはもとはずいぶん古いのが最近また流行った。

 なにも「全く新しいもの」が開発されているわけではない。「目新しいもの」がブームになるのだ。人はたいてい飽きるのだ。皆さんも、超大好きでずっと聴いていた音楽をいつかぱっと飽きて聞かなくなった経験があろう。そんなものも、1,2年経つとまた聞きたくなるのだ。おそらくだが、刺激に慣れてしまい目新しさを感じなくなる。それが、違うものを消費しているうちにその感覚を忘れ、再び聞くとそれが刺激になる。このようにブームは回帰する。

 

◇ モチーフになるもの、ならないもの

 アナログ回帰といっても、モチーフになり得ないものも多い。前述のMVのような、公衆電話、横丁、ダサい振付、チアリーダーといったものはモチーフ足りうる。一方で、腕時計、スポーツカー、新聞などといったものはモチーフにならない。この違いは何かというと、「過去のものになったというコンセンサス」の有無だ。「過去のもの」でないと、もはや日常の延長ということになるから、目新しさがない。腕時計だってもはやスマホやらにとって代わられるべき存在だけど、今もつけている人がいるから古いものではない。スポーツカーもエコカー全盛の今でも普通に乗っている人がいるから、古いものではない。